川底下村
川底下村はもともと、爨底下村という名でした。しかし爨(cuan4)の字が難しすぎたため、日中戦争のさなかに発音の似ている川(chuan1)に変えられました。私が現場で聞いたのは、村のハンコを作るときに難しすぎたから川の字を使ったといわれました。諸説あるようです。爨という字は辞書にはありますが、かまどや名字など、限られた場合にしか使われないようです。
爨底下村は400年以上の歴史を持ち、70以上の明清代の四合院の民家が残っています。中国で初めてかつての山村の様子が残っている集落として発見された村とされ、現在は国家A級の景勝地とされています。
もともとは明の時代に山西省から異民族からの防衛のために移住させられた人たちの村として作られました。一度、大きな土砂崩れが起きて、外に出ていた男女二人だけが助かりました。二人が結婚して子孫がこの村を作ったため、ほぼ全員の名字が韓になったといわれています。
村内
川底下村の入り口には表示がありました。
全体の説明です。
メインストリートはこんな感じです。この道は山西省などに通じるかつての国道だったそうです。
このような古い町並みが保存されています。開いている門の中は自由に見て行っていいとのことです。
奥の方に石臼があります。意外と抵抗なく動かせました。
門の前には塀があります。財や運気が逃げないようにするためらしいです。
村の中に入ると爨の字が迎え入れてくれます。
屋根を切ったトラックが走っていました。
田舎の風景が広がります。
石臼。牛などにひかせていました。現役で使えるぐらい状態が良かったです。
四合院の中には清の時代から残っているという壁画もありました。
昔の富豪の家だそうです。5つの間に分かれていました。
表にはトウモロコシが干してありました。今は旅行を主産業としていますが、かつてはトウモロコシや豆類を中止とした農業の村だったそうです。
家と家の間はこのような細い道です。
家の前には馬を止めておく穴があります。
かなり古い門らしい。だけど壊れています。
上の方のメインストリートです。
メインストリートから村全体を見ます。
山は左から虎山、亀山、蝙蝠山と呼ばれているそうです。
かつてはこんなおうちに住んでいたようです。今では多くのおうちが食堂になっているようで、執拗に食事を勧められます。
トレーニングルームもありました。
「学大慶学大寨」。「農業は大寨に学べ、工業は大慶に学べ」という1964年に提唱されたスローガン。
「读毛主席的书,听毛主席的话,照毛主席的指示办事」(毛主席の書を読み、毛主席の話を聞き、毛主席の指示に従って事業を行おう)。林彪の発案したスローガン。
こちらは見えなくなっているスローガン。
毛沢東思想を用いて我々の頭脳を武装しよう。この壁は上に清のころの壁画、真ん中に文革のころのスローガン、灰色の煉瓦の箇所には日中戦争時代の共産党軍のスローガンが書かれています。
ある扉の後ろの壁にもスローガンがありました。こちらは林彪の名前が消されて、雷鋒同志の名前に書き換えられていました。
「下定决心,不怕牺牲,排除万难,去争取胜利」(決心したら、犠牲を恐れず、万難を排し、勝利を奪取せよ)
一線天
村から歩いて15分ほどで一線天に到着します。ここは映画の西遊記などの撮影に使われたそうです。
このように、空が一本に見えるから一線天と呼ばれています。
車も通ります。
道沿いに穴がありました。かつて人がここに住んでいたようです。奥の壁にかまどのあとの黒ずみがあります。表の枠組みは復元とのことです。
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